老外漢學家的車轂轆話(3)「永遠的少年」村上春樹成為耶魯大學名譽文學博士之際
2016/07/15
耶魯大學的孫康宜教授于頒獎儀式當天告知我這一喜訊。孫教授是著名的中國古典文學家,畢業典禮當天坐席第二列,她拍攝下了村上春樹在臺上面向全體畢業生舉起學位證書的剪影。
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藤井省三 |
名譽博士稱號均授予博學者,且學識淵博之人多為年長者。村上先生1949年出生,今年67歲。對作家而言,60多歲可謂是獲名譽博士的適齡期,但村上先生還是無法抑制希望永為男孩之心,才有其正裝上衣加運動鞋這一極不搭配的裝束吧。「真不愧是永遠的男孩」,我如此思索間再翻看頒獎的照片時,不由想起了安西水丸先生為村上春樹書籍所作的插畫--茶色的饅頭上添上黑色的眉毛和芝麻大小的眼睛,彷彿櫻桃小丸子男朋友般的村上先生肖像畫。
孫教授還給我發來了畢業典禮介紹頁的照片。其上寫著授予村上先生博士稱號的理由--父母均為國語教師,他出生於二戰後的嬰兒潮時期,幼年成長於神戶,于早稻田大學文學部學習時與妻子陽子相識並結婚,畢業後夫婦二人開設了名為Peter Cat的爵士樂酒吧。憑處女作《且聽風吟》獲得文藝雜誌《群像》的新人獎,由此步入文壇。又憑藉《挪威的森林》成為暢銷作家,其後繼續創作了《海邊的卡夫卡》及《1Q84》。譯過雷蒙德•卡佛、菲茨傑拉德及提姆•奧布萊恩等人之作,亦是美國文學的翻譯家等等,最後簡介以村上先生去年入選了週刊雜誌《TIME》的「全球最具影響力的100人」結尾。
老外漢學家的車轂轆話 在東京池袋與余華同賞戲劇《兄弟》 現代北京的「老炮兒」與民國時期的閏土 |
但像我這樣的老老外漢學家(老人外國人中國文學家)對此介紹卻頗感不滿。村上春樹在華語圈、南韓、越南等亞洲地區亦深受歡迎,僅中國大陸的讀者數就可能遠超歐美的讀者數了吧。我也曾在《村上春樹心底的中國》(台北・時報出版,日文原題「村上春樹のなかの中國」)中指出:20世紀80年代末始於台灣的村上熱潮以香港、上海、北京及至東亞這一順時針傳播的「順時針法則」、村上文學的接受在經濟高速增長告一段落時期産生的「經濟增長停緩規律」,此外與歐美喜愛的《尋羊冒險記》相反,華語圈更愛《挪威的森林》的「羊高森低」等四大規律,也介紹了衛慧(1973-)、慶山(舊名:安妮寶貝,1974-)、田原(1985-)等深受村上春樹影響的年輕作家在中國的活躍情況。
幾年前曾蒙孫教授之邀,于耶魯大學進行了關於魯迅・村上・王家衛等東亞文學作品或電影中「阿Q」像係譜的演講。估計孫教授還記得這事,所以這次特地給我寄來了頒獎儀式照片的吧。
20世紀末的10多年間,雖然在中國有《挪威的森林》、《青春的舞步》等數種譯本發行,但在中國加入WTO後的21世紀,由於確立了版權制度,上海譯文出版社確保了林少華・中國海洋大學教授譯本的單一化,然此局面於2009年被打破,《1Q84》一經發行,中國的十家大公司就竟相報名加入版權爭奪戰之中,最終由「新經典文化有限公司」這一出版銷售策劃公司耗資100萬美元奪得版權,由上海杉達大學施小煒教授翻譯。此後《沒有色彩的多崎作和他的巡禮之年》的版權也由「新經典」奪得,由施教授翻譯。漢譯本的出版社及譯者的更換將如何影響村上的中國接受呢,本人亦對此頗感興趣。
我剛才稱村上春樹為「永遠的男孩」,記得台北的評論家楊照先生亦著有一本名為《永遠的少年》的評論書,不過這是一部《海邊的卡夫卡》論。
另外,耶魯大學的宣傳單上,將其作為描寫了「his passion for long-distance running"的回憶錄,亦涉及了村上先生的《當我談跑步時我談些什麼》。「永遠的少年」在畢業典禮結束後,或許就會如「呆萌」的新聞記者克拉克・肯特(Clark Kent)脫去套裝變身超人一般,脫下學位帽和博士服,只著牛仔服飾在New Haven大街上颯爽地慢跑吧。本人雖説也是個「老老外」,但比他還年輕三歲,不説長距離跑步,但也得努力每天走一萬步吧。
(翻譯 林敏潔 南京師範大學東語系主任教授)
藤井省三 簡歷
東京大學文學部中文系教授。出生於東京。76年畢業於東大中文系,82年畢業於東大中文系博士研究所。日本學術會議會員(2005-2014年)、日本中國學會理事,中國人民大學海外名師,南京師範大學講座教授。研究領域:現代中國文學、電影。主要研究成果:《魯迅<故鄉>閱讀史》、《村上春樹心底的中國》、《華語圈文學史》、《隔空觀影》(以上都是漢譯本)、《魯迅與日本文學──從漱石、鷗外到清張、春樹》等。
本文僅代表個人觀點,不代表日本經濟新聞(中文版:日經中文網)觀點。
本文為中日文對譯版,日語版請點擊下頁
老外漢學家の繰り言(3)「永遠的少年」村上春樹がイエール大學名譽文學博士となる時
藤井省三(東京大學教授)
アメリカ・イエール大學が5月23日の卒業式で、村上春樹に名譽文學博士號を贈った。すでにプリンストン大學やハワイ大學が村上さんに名譽博士號を贈っているためか、このニュースは日本や中國のマスコミでは報じられていないようだ。
この吉報を授賞式當日に私に知らせてくれたのは、孫康宜・イエール大學教授である。彼女は著名な古典中國文學者で、卒業式では前から二列目に座っておられたとのこと、壇上で會場の卒業生一同に向かい學位記を掲げる村上さんの姿を撮影して下さったのだ。
黒い角帽に黒いガウン姿で和やかに微笑む村上さんを見て、恭喜!恭喜!(おめでとう)と心の內でお祝いしながら、ふと彼の足元を見ると、何とジーンズにスニーカーだった。そこで村上さんが二〇年以上も前のプリンストン大學滯在記『やがて哀しき外國語』で、「運動靴を履いて、月に一度美容室ではなく床屋に行って、いちいち言い訳しない。これが男の子のイメージである。」と書いていたことを思い出した。
名譽博士號というのは碩學に贈られるもの、そして碩學というのは中高年の方が多い。村上さんは一九四九年生まれだから、今年で67歳になる。作家にとって60代と言えば名譽博士の適齢期なのだろうが、村上さんは、やっぱり男の子でいたい、という気持ちを抑えきれず、ガウンの下のスニーカーというちぐはぐな裝いとなったのだろう。天晴れ永遠の男の子!と思いながら、改めて授賞式の寫真を眺めると、村上さんの本に挿し絵を書いていた安西水丸さんの絵が思い出された──茶色の饅頭〔ルビ:マントウ〕に墨の眉と胡麻の目を付けた、ちびまる子ちゃんのボーイフレンドのような例の村上さんの似顔絵が。
孫教授は卒業式パンフレットの見開き二頁分の寫真も送って下さった。そこには村上さんへの博士號授賞理由が書かれている──國語教師同士の両親の間に戦後ベビー・ブーム世代として生まれ神戸で育った幼少期から、早稲田大學文學部で學んでいる間に妻の陽子さんと知り合って結婚し、卒業後は夫婦でピーター・キャットというジャズ・バーを開いた青春時代まで。第一作『風の歌を聴け』で文蕓誌『群像』の新人賞を受賞してデビューし、『ノルウェイの森』でベストセラー作家となり、その後も『海辺のカフカ』や『1Q84』を書き続けている作家歴。レイモンド・カーヴァーやフィッツジェラルド、ティム・オブライエンらの作品を訳しており、アメリカ文學の翻訳家でもあること等點。そして最後は週刊誌『TIME』が昨年の「世界で最も影響力のある100人」の一人に村上さんを選んでいる、と結ばれていた。
一頁半という限りある紙幅で、要點を押さえて書かれたこの村上評は、このまま文學事典に転載できそうな文章だ。イエール大學東アジア文學部は日本文學の優秀な専門家も擁しており、その內のお一人が書いたのだろう。
しかしこの紹介に対し、私のような老老外漢學家(老人外人中國文學者)は不満である。村上春樹は中國語圏や韓國、ベトナムなどの東アジアでも大人気の作家であり、中國大陸の読者だけでも歐米の読者を數において淩駕しているのではあるまいか。私も『村上春樹心底的中國』(台北・時報出版、日本語版原題:村上春樹のなかの中國)で、1980年代末に台灣で始まった村上ブームが、香港、上海、北京と東アジアを右回りに伝播した「時計回りの法則」、村上文學受容は高度經濟成長が一段落した時に生じる「經濟成長踴り場の法則」、さらには歐米では『羊をめぐる冒険』が好まれるのとは逆に、中國語圏では『ノルウェイの森』が好まれるという「羊高森低の法則」等という四大法則も指摘した。衛慧(ウェイ・ホイ、えいけい、1973~)、慶山(舊名:安妮寶貝、Annie Baby、1974-)、田原(ティエン・ユアン、でんげん、1985~)等村上チルドレンたちの中國での活躍ぶりも描いた。
孫教授のお招きを受けて、イエール大學で魯迅・村上・王家衛(ウォン・カーウァイ)という東アジアの文學・映畫における「阿Q」像の係譜に関する講演をしたこともあり、彼女はこのことを覚えていて今回も授賞式の寫真を送って下さったのだろう。
二〇世紀末の十年あまりは、中國では『ノルウェイの森』や『ダンス・ダンス・ダンス』に數種類もの翻訳が刊行されたものだったが、中國のWTO加盟後の二一世紀には版権制度が確立したため、上海訳文出版社による林少華・中國海洋大學教授の訳に一本化されたものの、二〇〇九年に『1Q84』が刊行されると、中國では大手一〇社が名乗りを上げて版権爭奪戦を行い、最終的に出版販売企畫會社の新経典文化有限公司が一〇〇萬US$で版権を取得、施小煒・上海杉達學園大學教授が同書を翻訳している。続けて『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡禮の年』も新経典による版権取得、施教授による翻訳となった。中國語訳の版元や訳者の交替により、中國における村上受容がどのように変わるのか、という點も興味深い。
先ほど村上さんを「永遠の男の子」と稱したが、台北の批評家の楊照氏に『永遠的少年』という評論書がある。但しこれは『海辺のカフカ』論であるが。
ところでイエール大學のパンフレットは、「his passion for long-distance running"を描いた回顧録として、村上さんの『走ることについて語るときに僕の語ること』にも觸れていた。我らが「永遠的少年」は卒業式が終わると、ドジな新聞記者のクラーク・ケント君がスーツを脫ぎ捨ててスーパー・マンに変身するように、角帽とガウンを脫ぐや、ジーンズのままNew Havenの街をさっそうとジョギングしたのかもしれない。私も「老老外」とはいえ、彼より三歳年少なのだから、長距離走とは言わずとも、一日萬歩くらいは心がけたいものである。
著者略歴
1952年生まれ。1982年東京大學大學院人文係研究科博士課程修了、1991年文學博士。1985年桜美林大學文學部助教授、1988年東京大學文學部助教授、1994年同教授、2005~14年日本學術會議會員に就任。専攻は現代中國語圏の文學と映畫。主な著書に『中國語圏文學史』、『魯迅と日本文學──漱石・鷗外から清張・春樹まで』、『村上春樹のなかの中國』、『中國映畫 百年を描く、百年を読む』など。
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