老外漢學家的車轂轆話(5)現代中國學生與毛澤東的《體育之研究》
2017/02/04
日經中文網特約撰稿人 藤井省三:我時常因為參加學術會議或舉辦集中講座而在中國的大學停留。每當那時就有三種樂趣在我心頭油然而生。其一是在圖書館片刻的閱讀——閱覽室裏坐滿了學生,置身於學生們熱情的漩渦之中,我對知識的激情重新燃起。其二是在食堂吃碗盛得滿滿的米飯——年輕人愉快地吃著飯的情景,總會讓我胃口大開。其三便是欣賞學生們運動的景象——遠遠望著他們興高采烈地打籃球和羽毛球的樣子,不由得想哼唱起「♪年輕的人們啊,快把身體鍛鍊好……為了那一天,鍛鍊好身體啊」這首由左翼詩人NUYAMA Hiroshi(本名:西澤隆二)作詞的歌曲。
然而,前幾日我在某所大學目睹了令人不可思議的一幕。在校園的草坪上,男女三人正在進行足球的三角傳球,但兩名女同學踢出去的球一會兒朝這兒一會兒朝那兒,總是往出乎意料的方向滾去。每次男同學都要左右來回跑去接球。再看互相拋接橡膠球的情侶,女生用右手投球時沒邁出左腳,而是雙腳並攏站著。於是那球自然沒能傳到站在幾米後的男生手裏。看來這些女學生們應該是很久沒有接觸球類運動了。
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藤井省三 |
由此,我聯想起去年四月在北京看的電影《誰的青春不迷茫》。電影描述了只埋頭讀書的優等生林天嬌因自己的作弊事件而與疑似不良少年的高翔開始交往。天嬌本打算順應母親的期待放棄自己喜愛的天文學考名校的金融系,但漸漸地被熱愛自由、夢想著像自己名字一樣「高飛」的高翔所影響……這樣的高中校園故事。在電影中有這樣的場景:來學校視察的教委領導問同學們有沒有好好上體育課和美術課,被點名回答的高翔誠實地回答道,沒有那些課,都被改成了高考科目。這使得班主任十分驚慌,看到其慌張失措的樣子電影院裏響起一片笑聲。
我問了周圍的學生們高中的情況如何,得到的回答正如電影中一般,體育和美術均被改成了高考科目。前面説到的三角傳球和拋接球不拿手的女學生們,恐怕也是度過了埋頭苦讀專心備考的高中時代,幸運地進入大學後才重新開始球類運動的吧。
距今百年前,青年毛澤東發表了論文《體育之研究》。毛澤東開篇便格調高地指出:「國力恭弱,武風不振,民族之體質,日趨輕細。此甚可憂之現象也。」他還指出,「體育一道,配德育與智育,而德智皆寄于體。無體是無德智也」。接著全文分七個節闡述了體育將如何影響精神和肉體,並論述了體育的作用,最後一節從手部、足部運動到身體前後屈運動的動作都做了詳細的説明,以「深呼吸三次」結束了論文。文中還寫到「日本則有武士道,近且因吾國之緒余,造成柔術,觥觥乎可觀已」,毛澤東提及了柔道這點令人頗感興趣。
老外漢學家的車轂轆話
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《體育之研究》刊載于《新青年》第3卷第2期(根據底頁,於1917年4月1日發行)。這是由陳獨秀(1879~1942)擔任總編、胡適(1891-1962)展開文學革命論的綜合性雜誌。翌年,魯迅也于《新青年》發表了小説《狂人日記》,這部小説拉開了現代文學的序幕。説起來,魯迅在東京留學期間,1903年3月在講道館入門學過柔道,或許他在讀毛澤東的論文時會深有感觸吧。
雖説升學應試學習也很重要,但「無體是無德智也」。因此,我由衷地希望現代中國的大學生能多參加體育運動……我一邊這樣想,一邊抬頭看被霧霾(PM2.5)籠罩的北京天空。
(翻譯 林敏潔 南京師範大學東語系主任教授)
藤井省三 簡歷
東京大學文學部中文系教授。出生於東京。76年畢業於東大中文系,82年畢業於東大中文系博士研究所。日本學術會議會員(2005-2014年)、日本中國學會理事,中國人民大學海外名師,南京師範大學講座教授。研究領域:現代中國文學、電影。主要研究成果:《魯迅<故鄉>閱讀史》、《村上春樹心底的中國》、《華語圈文學史》、《隔空觀影》(以上都是漢譯本)、《魯迅與日本文學──從漱石、鷗外到清張、春樹》等。
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老外漢學家の繰り言(5)現代中國の學生と毛沢東の「體育之研究」
藤井省三(東京大學教授)
私は學術會議や集中講義のために、時點中國の大學に滯在している。その折の秘かな楽しみが三つある。一つは図書館でするしばしの読書──閲覧室を埋め盡くす學生さんたちの熱気の渦の中にいると、改めて知的情熱が燃えてくる。二つは食堂で食べる大盛ご飯──若者たちの楽しげな食事風景を見ていると、私も大いに食慾が湧いてくる。そして三つめがスポーツ見物──バスケットやバドミントンに興じている様子を眺めていると、♪若者よ、身體を鍛えておけ・・・・その日のために、身體を鍛えておけ、という左翼詩人ぬやまひろし(本名:西澤隆二)作詞の歌をハミングしたくなるものだ。
ところが先日ある大學で不思議な光景を目撃した。キャンパスの芝生で三人の男女がサッカーの三角パスをしていたのだが、二人の女子が蹴るボールがあちらこちらと、とんでも無い方向に転がるのだ。そのたびに男子は左右に駆けまわってボールを受けていた。ゴムボールを投げ合っているカップルの場合は、女子は右手で投げる際に左足を踏み出すことなく、両足を揃えて立っている。そのためボールは數メートル先の男子の手元まで屆かないのだ。どうやらこの女子學生たちは長いことボール遊びから遠ざかっていたようすである。
そこで思い出したのが、昨年四月に北京で見た映畫『迷ってばかりの青春時代』(原題:《誰的青春不迷茫》)である。ガリ勉優等生の林天嬌は自らのカンニング事件をきっかけに、不良っぽい男子生徒の高翔と付き合うことになる。天嬌さんは母親の期待に応えて大好きな天文學を諦め、名門大學の金融學科を受験するつもりであったが、自由を愛し名前の通りに「高く翔〔と〕ぶ」ことを夢みる高翔君に次第に感化されていき・・・・という高校學園ものである。この映畫には高校に視察に來た教育委員會の幹部〔原文:教委領導〕が生徒たちに、體育や蕓術の授業はきちんと受けていますか、と問いかける場面がある。指名された高翔君が、そんな授業はありません、受験勉強に振り替えです、と正直に答えてしまい擔任教師が大慌てするものだから、映畫館では笑い聲が上がっていた。
私が周りの學生さんたちに、君たちの高校ではどうでしたか、と訊ねたところ、映畫の通り、體育も蕓術もすべて大學受験科目の授業に振り替えでした、との答えであった。先ほどの三角パスやキャッチ・ボールが不得意な女子學生は、おそらく受験勉強にドップリ浸かって高校時代を過ごし、晴れて大學に入學してから、ボール遊びを再開したのだろう。
若き日の毛沢東が「體育之研究」という論文を発表したのは、今から一〇〇年前のことである。「國力繊弱、武風不振のなかで、民族の體質が日點虛弱になってゆく、これはまことに憂うべき現象である。」と格調高く説き始めた毛沢東は、「體育は、徳育・智育と並ぶものであるが、德と智はともに體に依存するもので、體がなければ徳・智もない。」と指摘している。そして全七節にわたり體育が精神と肉體とにどのような影響を與えるか、という體育の効能を述べた後、最終節では手足の運動から身體の前屈・後屈の運動までの動作を細かく説明し、「深呼吸三次」の言葉でこの論文を締め括っている。論文の途中で「日本には武士道があり、最近ではわが國の流れを承けてみごとに壯健なる柔術を作りあげた。」と柔道に觸れているのも興味深い。
「體育之研究」を掲載したのは、陳獨秀(チェン・トゥシウ、ちんどくしゅう、1879~1942)が編集長を務め、胡適(フー・シー、こてき、1891-1962)が文學革命論を展開していた総合誌『新青年』の第3卷第2號(奧付によれば1917年4月1日発行)である。翌年の『新青年』には魯迅も近代文學の幕開けを告げる小説「狂人日記」を発表してもいる。そもそも魯迅は東京留學中の一九〇三年三月に講道館に入門して柔道を習っており、毛沢東の論文を懐かしく読んだことであろう。
受験勉強も大事だろうが、「體がなければ徳智もない」のだ。現代中國の學生さんには、大いに體育運動を心がけて欲しいのだが・・・・そんなことを、霧霾(PM2.5)に覆われた北京の空を見上げて考えた次第である。
*毛沢東「體育之研究」日本語訳は坂元ひろ子責任編集『新編 原典中國近代思想史 第4巻』(岩波書店)から引用した。
著者略歴
1952年生まれ。1982年東京大學大學院人文係研究科博士課程修了、1991年文學博士。1985年桜美林大學文學部助教授、1988年東京大學文學部助教授、1994年同教授、2005~14年日本學術會議會員に就任。専攻は現代中國語圏の文學と映畫。主な著書に『中國語圏文學史』、『魯迅と日本文學──漱石・鷗外から清張・春樹まで』、『村上春樹のなかの中國』、『中國映畫 百年を描く、百年を読む』など。
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